放浪し進化するコミュニティサポーター栗之助のブログ

放浪し進化するカウンセリングマインド♥️をベースに活動するコミュニティサポーターです。

突然ですが、ブログを終了します。

こんばんは、コミュニティサポーターであり、エッセンシャルワーカーでもある栗之助(仮名)です。

 

タイトル通り、今回、令和2年8月末のブログを持って、コミュニティサポーター栗之助(仮名)でのブログ更新は終了となります。今までありがとうございました。

 

私が、恩師に言われた「後世に語り継ぐこと」は、これからも違った形で継続していきますし、私が、今までの様々な領域を経験した「経験値」は、これからも増え続けていくと思います。

 

正直、私自身は、コミュニティサポーターやエッセンシャルワーカーとして、このまま終わる気持ちは微塵もありません。

 

今は「経験値を積む」というだけで、ライスワークをやっていますが、これも、本当にやりたいことに向けての準備に過ぎません。

 

このブログは、しばらくこのまま残しますが、既に後世に語り継ぐための準備は、地道に続けています。

 

ということで、短い間でしたが、ありがとうございました。

 

 

この一番静かな夏に思うこと

こんばんは、コミュニティサポーターであり、エッセンシャルワーカーでもある栗之助(仮名)です。

 

今年の夏は、コロナ禍で、多くの夏の風物詩と言われたことが出来なくなり、本当に静かな夏になったと思います。

 

夏祭りや音楽フェスも中止になり、人にとって大切な「文化」をどうやって提供し、受容するのかを試行する夏になったと思います。

 

花火はゲリラ的に打ち上がるイベントに代わり、音楽フェスやライブは映像配信という、新たな方法を模索しています。

 

今まで当たり前だったことが出来なくなったと嘆くのではなく、この一変した状況をいかに変化のチャンスだと捉え、試行錯誤出来るのは、唯一、知恵を持った人間が出来る業だと思います。

 

今までの歴史では、様々な危機があり、それを我々は乗り越えて来ました。

 

しかし、近年は、それを過去の遺産として軽視し、自分の利益や正義を優先することで、争い事や自然破壊という、重大な過失をしていたことに、気づかなかったのか、目を背けていたんだと思います。

 

人が便利さを追求し、ITに支配されたことで、本来人が出来ることを、ITにさせたことで、人は考えること、動くことを辞めてしまいました。そのツケが、今回のコロナ禍だと、個人的には思います。

 

本来、人には考える力、動く力があります。それをITにさせたことで、一気にバカなヒトが増え、私利私欲に溺れたんだと思います。

 

私は、改めて、このコロナ禍を受け止め、冷静に考え、動くことを始めました。

 

日々、溢れ続けている過多な情報を、単に鵜呑みにするのではなく、疑いの目を持ち、キチンと収取選択し、しっかり咀嚼するという、頭を使うことをしています。

 

毎日、歩くことをして、出来る限り、便利なものを使わない。時間も、平日のライスワークでは時間泥棒をされているので、逆に、自分が使える時間を、有効に使うようにしています。

 

今までの様な、バカ騒ぎをするお祭り騒ぎをすることは、しばらく出来ないかもしれませんが、本当に必要なものなのか、そうでないものなのか、を見極める、大事なひと夏になったと思います。

 

大事なのは、使命感とかいう陳腐なものではなく、本当に、これが、世の中に必要なものなのか?ということで、今までの慣習自体も、全て見直しする絶好の機会だと、私は思います。

 

儀礼的なことは本当にこの世の中の現状に必要なものなのか?

 

今の世の中を、生き延びていくためには、現状を捉え、その変化に柔軟に対応していくことだと思います。

 

それが出来ないヒトは「老害」とは言われるだと思います。

 

人生の正午を過ぎ、下り坂にそろそろと降りていますが、少なくとも「老害」とか言われない様に、柔軟に生きて活きたいですね。

 

 

 

これからは見返りや期待を求めず単純にギバー(giver)になること。

こんばんは、コミュニティサポーターであり、エッセンシャルワーカーである栗之助(仮名)です。

 

最近、いろいろなところで、ギバー(与える人)、テイカー(奪う人、利益を優先する人)、マッシャー(損得のバランスを考える人)、という言葉を見聞きします。

 

かつての私は、計算高く損得のバランスを考える、マッシャーが一番良いのではないかと思っていました。

 

しかし、最近、ライスワークでも、オフの時でも、ギバーをすることが、お互いにWin-Winな関係になることに、ようやく気づきました。

 

見返りや期待を求めるのではなく、単純に「この人をギブしたい」と思い、実際に行ったことで、それが、キチンと自分に戻って来ることを実感する場面が何度もありました。

 

これから必要とされるのは「あやかり力」だ、とおっしゃっている方がいますが、私もその考えに同感します。

 

「あやかること」が出来る人って、やはり人徳というか、それなりの人望がなければ、出来ないと思います。

 

間違っても、相手の側に立ち、相手の視点から観る力、状況を俯瞰して観る力がない、自分中心で、平気に相手の時間泥棒をする連中には、皆無の力だと思います。

 

ライスワークでは、こんな時間泥棒連中がゴロゴロいて、推定8割くらい占めているので、私は「バカな時間泥棒連中」だと思い、ワーク以外の付き合いはゼロです。

 

かつて、お付き合いがあったのも、この時間泥棒に加担する首謀者であり、自分の名前を間違えるという慇懃無礼な行為を平然とやったので、切り捨てました。

 

今回のコロナ禍で、多くのヒトの化けの皮がはがされ、人とヒトの区別が歴然になりました。

 

私が今まで、信頼していた多くが、人の形をしたヒトだったことは、正直、ショックでしたが、人は生まれた時も死ぬ時も、一人なので、所詮、人は孤独な生き物だと割り切り、自分を大事にするためには、まず、相手をギブすることなんだと、人生の正午を超え、下り坂に差し掛かり、ようやく気づきました。

 

最近、読んだ本で、破天荒フェニックスを書かれたOWNDAYS社長の田中修治さんの「大きな嘘の木の下で(幻冬舎)」では、6つのウソについて書かれていますが、その中で、幸福ではなく、豊かさなんだということが書かれています。

 

「幸せ」は、非常に抽象的で、多様性があると思いますし、正解はないと思います。これと似たものに「正義」というのがあります。

 

しかし、「豊かさ」は、測ることが可能だと思います。経済的豊かさ、精神的豊かさ、など、〇〇的豊かさということで、指標が出来、それぞれの豊かさの程度が分かると思います。

 

私は、今まで「幸せ」という、曖昧なものを自分の指針として掲げていましたが、それが、自分のコミュニティサポーターやエッセンシャルワーカーとしての仕事に弊害を与えていたんだと気づきました。

 

なので、これからは「豊かさ」という、新たな指針を持って、日々のライスワークや、オフでの活動に使っていきたいと思います。

 

そして、自分にどんなギブが出来るのか、試行錯誤していきたいと思います。

 

ライスワークからライク、そしてライフへ

こんばんは、コミュニティサポーターであり、エッセンシャルワーカーでもある、栗之助(仮名)です。

 

世の中は三連休ということですが、動く人(ヒト)と、動かない人(ヒト)と二分化されたなぁと思います。

 

そんな私は、月末に動く用事があるので、この3日間は、辺境地でステイホームをしています。

 

そんな中、休日は、歩くことを意識し、一万歩チャレンジということで、天気が良ければ、遠方まで歩くことを意識しています。

 

車社会になり、車での車が主流になったことで、車がない人や、車の運転が出来ない人にとって必要な公共交通機関が、地方を中心に衰退の一途を辿っています。

 

そんな中、私はあえて不便ではありますが「車を持たない」生活を、辺境地に飛ばされた時に選びました。

 

車を持たないことで、余計な出費が減り、運転することで、背負うことになるリスクを回避することが出来ました。

 

人間には「足」というのがあります。その足をキチンと使わないと、足がドンドン退化していき、歩けなるなることを、私自身が危惧したので、平日の作業時は、作業場と部屋の往復で、だいたい7千歩、休日は、出来る限り、歩くように心がけ、1週間で5万歩になるように、意識しています。

 

あえて歩くことで、足の感覚を感じ、休日はわざと森林を通って行くようにしているので、木々の色や、日差し、森林の匂い、といった五感をフル稼働され、作業で疲れ切った心身を、マイナスイオンを浴びてリセットする様にしています。

 

そんな、オンとオフの切り替えを意識してから、徐々にではありますが、心身の好調不調の変動が少なくなり、不調が減り、好調が戻って来ました。

 

何で、平日は憂鬱で単調な作業が続くにも関わらず、好調さが戻って来たのか?

 

未だ、抗うつ剤抗不安薬眠剤の服用は続けており、調子を見ながら、徐々に服薬量を減らしています(主治医の許可は受けています)。

 

最近は、眠剤が利きすぎるのか、夜中に起きても、9時間くらい寝ていると思います。

 

充分、睡眠が取れているからか?(私はショートスリーパーではないので、8時間は睡眠を取りたいし、昼休みは疲れたら、ラジオを聴きながら横になっています)、作業に慣れてきて、先を見越して、自分でスケージュリング出来る様になったかなのか?

 

とにかく、最近は、躁転部下のマウントも適当に扱うだけじゃなく、仕方ないので、部下のサポートもする余力も出て来ました。

 

本当に怖いくらい、調子が良いので、何かの反動で、調子を崩さないか心配です。

 

ただ、上手くオンオフの切り替えが出来るのは、平日の活動を「作業」と割り切り、休みの活動を充実させているからだと思います。

 

実は、単なる生活費を稼ぐ仕事のことを「ライスワーク」というそうで、好きなことを仕事にするのを「ライクワーク」、仕事とプライベートを分けず、自分の使命としてやる仕事を「ライフワーク」というとのことです。

 

この三連休は、遠出をしないので、読書三昧ですが、今、読んでいるのが「あえて数字から降りる働き方(尾原和啓)」です。

 

その中で、尾原さんが、ライスワークと割り切り、自分が心から「好きだ」と思えることをやるというのもありだということを書かれていると、自分なりに解釈して、自分が「作業」と言っていることは「ライスワーク」であり、自分が好きでやっていることが「ライフワーク」だったことに気づきました。

 

尾原さんがとあるオンライン講演会で「ワークライフバランス」という考え方に懸念感を示されていましたが、私もこの言葉に違和感がありあす。

 

ワークとライフはバランスを取るものではなく、自分が心から楽しんでやっている「ワークラーフ」であれば、それが中心になりますし、私の様に、単なる生活の糧のためにやっている「ライスワーク」であれば、中心は「ライフ」や「ライク」になります。

 

つまり、ワークとライフ(ライク)はバランスを取るのではなく、どっちが生活の中心になるかが大事だと思います(私の職場は未だ昭和的感性のところなのでバカの一つ覚えの様に「ワークライフバランス」と言っていますが、言葉の意味を解っていないので全く心に響かず、陳腐に聞こえます)。

 

今の私は「ライスワーク」をしながら、比較的時間がある中で「ライク」をやっている状態です。きっと「ライフ」までには行っていませんが、漠然とではありますが、このまま「ライスワーク」をやり続ける気持ちは微塵もなく、「ライフ」を描いています。

 

マイライフのために、今を含めた、希少価値な様々な経験を「後世に伝える」ために、自分が「ライフ」として出来ることを、少しずつではありますが、形にしています。

 

その形のひとつが、このブログです。実は別名でブログもやっていて、そのブログも残していますが、それらを作品として、残したいと思います。

 

そして、コミュニティサポーター(この名称に違和感があるので、もっとしっくり来る名称に変更予定で合わせて栗之助(仮名)も変更予定)としての生業をする準備をしていきます。

 

ライスワークで、得られることは、良いことも、悪いことも、辛いことも、腹が立つことも、いろいろありますが、これらの経験は、全く無駄とは思っていません。

 

ゲームの世界では、経験値が上がれば上がるほど、キャラクターが強靭になる様に、遠回りでも、経験が増えれば、それが糧になります。

 

いろいろな経験をして、たくさん傷つき、たくさん裏切られ、心身が殺られ、地の果てに落ちたこともありますが、今、それらの経験が、自分を強靭にしています。

 

自分の「ライフ」を具体的にし、それを一緒にやる仲間たちを集いながら、最終的に、大切な仲間たちとWin-Win「ライフ」を送ることが出来る様、今は、自分の刃を研ぐ時かな?と思います。

 

新型コロナウイルスという見えない敵との戦いは、まだまだ続きますし、ばい菌は次々と形を変え、我々人間に勝負を挑んで来ます。

 

一気に、環境が変わったことで、始めは戸惑い、コロナ鬱みたいになりましたが、逆に、この時に、エッセンシャルワーカーだったことも、幸いだったと思います。

 

そういう先見の目を大切にしながら、新たな時代の幕開けだと、気持ちを切り替え、自分の「ライク」を堪能しながら、「ライフ」を築きたいと思います。

 

明日も、三連休最終日で休みなので「ライフ」を満喫しながら、明後日から4日間の「ライスワーク」をやり切ります。

 

新しい生活様式にシフトチェンジ出来る人とヒトの大きな違い

こんにちは、コミュニティサポーターであり、エッセンシャルワーカーでもある栗之助(仮名)です。

 

毎週、いろいろと綴って来ましたが、このブログを閉め、別のブログに記事を編成し直し、新たなブログを立ち上げる予定です。

 

さて、いよいよ8月になり、世間で言う「夏休み」という季節になりました。

 

私がいる辺境の極寒地であれる僻地の田舎にも、いろいろな地域から、人(ヒト)が集まって来ています。

 

辺境の極寒地ということで、夏はそんなに暑くならないので、避暑地みたいな感じで、人(ヒト)が集まっていると思います。

 

開放的になる夏なので、人(ヒト)が動くことは止むを得ないと思いますし、Go Toなんとかというのも、その解放感を複雑ではありますが、後押ししています。

 

物流が流れる様に、人(ヒト)が流れるのは、この国が制御不能な墜落状況になっているので、仕方がないことと受け止めるしかありません。

 

もう、自分の身は自助努力で守るしか、この見えない敵との戦いで防御して、生き延びるしか、方法はないと思います。

 

未だに対処方法が見い出せない中、自己防衛するには、3密を避け、飛沫感染を防ぐしか方法はないと思います。

 

もともとマスク社会だったこの国なので、マスクをして、距離を取って、体調が悪いときは、思い切って休み、安易に医療機関を受診するのではなく、市販薬で何とかするしかないと思います。

 

新型コロナウイルスの検査体制がある程度確立されたために、多少の症状や、感染者の濃厚接触者ということで、検査にかけられ「陽性症状」と認定され、社会から隔離されます。

 

それが、日々の感染者数の増加という数字になり、それをマスゴミが一方的に煽り、不安に陥れ、マスゴミの餌食になる、稚拙な民が多くなったと思います。

 

私は作業上、感染者数のチェックはしますが、それに一喜一憂せず、上記の理由で、増えるのは当たり前だと、腹を据えています。

 

人(ヒト)の流れが起これば、感染者が全国に蔓延するのは、小学生でも分かる簡単なことであり、強制的に流れを止めることをしない限り、単純に感染者数が増えるのは、当たり前です。

 

こういう、単純なことも分からなくなり、一方的に不安を増大させるのは、自分で首を絞める愚行だと思います。

 

大事なのは、自分が「感染しないこと」と、自分が「感染しているかもしれない」と、意識することです。

 

感染しない、感染させないためには、今や当たり前の言葉になった「ソーシャルディスタンス(この国の英語力の弱さが露呈された悪言)」を常に意識し、飛沫感染を防ぐ工夫をすることです。

 

常にマスクをして、公共の場所(特に室内)では、おしゃべりを慎み、手洗いと消毒、そして帰宅後の洗顔、を、意識するという「新しい生活様式」にシフトチェンジしなければならない時代になりました。

 

それだけ対策しても、感染者数を減らすことは出来ない訳であれば、感染者を減らす、最大限の自助努力をすることが必要だと思います。

 

残念ながら、これだけ「新しい生活様式」と声高に訴えても、過去が捨てられない、進化せず、ただ退化して行くだけの「ヒト」が、本当に多いんだ、と、辺境の極寒地でも感じています。

 

公共の場所で車座で、大声で話をして、飛沫感染しまくりの、習慣を変えられない残念な「ヒト集団」を、一瞥しながら、マスク姿で、さっさとその場を立ち去り、極寒の辺境地にもある数少ないエレベータでは、密集を防ぐ様に張り紙をしていても、文字が読めない「ヒト集団」が、大挙して乗車するので、マスクの中で息を止めることが、増えました。

 

「待てない」「変われない」「変えられない」「昔に戻りたい」という、退化して行く「ヒト」が多い、この国は、残念ながら、一気に朽ち果てていくと思います。

 

大事なのは、「待つこと」「変わること」「未来に目を向ける」ことです。それが出来る優秀な「人」だけが、さっさと、自分たちだけのコミュニティを作り、その中の人だけが生き残る時代になったと思います。

 

国を守る、国が守ることは、この愚行続きでは、もう、出来ないことと思います(今だに、役立たずのアホノマスクを配布しようとした時点で、残念ながら「変われない」ヒトの様相をしたイキモノなので、終わっています。ご愁傷様です。)

 

それであれば、自分たちが所属する大切な「コミュニティ」の力で、この見えない敵との戦いを乗り越えていくしかないと思います。

 

皆さんには、そんな素敵で強固な「コミュニティ」はありますか?

 

そして、皆さん自身は「新しい生活様式」にシフトチェンジ出来ますか?

 

ただ、罵詈雑言や苦言をSNSに投稿し、マウントする暇があれば、もっと自分自身の刃を磨き、この困難を乗り越える力を持ち、同じ志を持った仲間と乗り越えることが大事だと、個人的に思います。

Keep Calm and Carry On.

こんにちは、お元気ですか。コミュニティサポーターでエッセンシャルワーカーでもある栗之助です。

 

世の中は4連休ということで、本中毒の私は、実際に大型書店に足を運び、いろいろな分野を回りながら、お目当ての本と、背表紙や立ち読みで「ビビッ」と来た本を買うために、一番近い大きな街(実は好きな街)に行って来ました。

 

本屋巡りの他に、地元グルメを堪能しましたが、人出はまだまだですが、街に活気が戻って来た様に感じます。

 

マスク装着率もまずまずですが、残念ながら、正しくマスクを装着していない人、ソーシャルディスタンス完全無視で、飛沫感染するくらい大声で談笑する老若男女もいましたが、そういう生き物に対し、感じること自体、無駄な労力なので、黙ってほったらかしにしました。

 

最近、夜の街や小劇場がマスゴミの餌食になり、バッシングを浴びていますが、夜の街や小劇場、そこに行った人たちを悪者扱いする、異常な世の中になりました。

 

飛沫感染や、ソーシャルディスタンスしか、今は方策がない中、誰もが「陽性」になる可能性が高い中で、我々は、日々暮らしています。

 

夜の街や小劇場が、何故、営業を続け、そこに通う人たちがいるのか?という、根本の理由を考えず、一方的に悪者扱いし、バッシングするのは、いじめと同じことだと、個人的には思います。

 

「働かざる者食うべからず」という、陳腐で古臭い標語を、マスゴミ支配下になり操作されるコメンテーターという生き物らが発することで、「働くこと」をしなければという、脅迫観念から、やむを得ず働いている人がいる。

 

そして、見えない敵との長期戦にギブアップした生き物たちが、根拠のない言い訳を捏造し、そこに行くことで、お金の交換が生じている以上、この状況は続くと思います。

 

どんなに「自粛」と、自分の顔面も守れない自粛もしないエライセンセイガタという生き物が、連呼しても、耳には入らないと思います。

 

そして、4連休になった世の中ではGo To なんとかというのが始まり、一気に人の移動が始まりました。

 

人の移動があることで、感染リスクが高まることは、小学生でも分かることですが、人の移動を止めることは、この脆弱な国の息の根を止めることだと思います。

 

本来であれば、この4連休は、スポーツイベントのためにわざわざ作り変えられた、負の遺産です。

 

そのイベントの開幕される日に、良く分かんないパフォーマンスがマスゴミに紹介されましたが、そんな痴話事をする暇があれば、さっさと、この全世界的問題に対し、不安と疲弊感で参っている民らに、もっとすべきことがあると思います。

 

検査する数が増えているから、感染者が増えているのであり、単に感染者だけで、不安を煽るだけのマスゴミは、本当に一掃されて欲しいと願っています。

 

そして、感染し陽性になった人が謝罪したりすることや、非公開にすることが、何故起きるのか?を頭を使って考えるべきではないでしょうか?

 

誰が罹患してもおかしくない状況で、感染した人がどうして謝罪する必要があるのでしょうか?

 

非公開にすることで、不安を感じる方も多いと思いますが、公開したことで、誹謗中傷やバッシングを受ける恐怖を考えれば、非公開にしざるを得ないことも、やむを得ないことだと思います。

 

私が、このブログで、常に大事にしていることに”Win-Win”があります。

 

謝罪をさせることや、批判されても非公開してしまうのは、関係が”Win-Win”ではなく、”Win-Lose”になっているからだと思います。

 

どうか、この平時ではない事態に対し、マスゴミの扇動に踊らされることなく、冷静に情報をキャッチアップし、現状を把握してください。

 

さて、今日のタイトルの ” Keep Calm and Carry On ” ですが、イギリス政府が第二次世界大戦の直前に、開戦した場合のパニックや戦局が悪化した場合の混乱に備えて作成した国民向けポスターの言葉です(Wikipedia)。

 

意味は「平穏を保ち、普段の生活を続けよ。」という意味です。

 

当時、このポスターは国民には浸透せず、2000年度に入ってから、このポスターが古物で出て来て、脚光を浴びた様です(Wikipedia)。

 

この ” Keep Calm and Carry On ” という言葉は、今の平時ではない世の中に必要な言葉ではないかと思います。

 

先が見えない世の中で平穏を保ち続けることは難しいですが、遠い先の未来に不安を抱くのではなく、目の前のささやかな喜びを抱きしめ、平穏を保つことは出来るかもしれません。

 

我々人間が、手洗い、マスク、ソーシャルディスタンスを意識したことで、他の感染する病気が減ったという報告があります。

 

そういう、自分たちがやっていることが、決して無力ではないことを自負して、日々の習慣としてやっていくこと、ささやかな幸せを感じ、ありがたいと思える気持ちが大事だと思います。

 

アンパンマンの作者である、やなせたかしさんは、自書「わたしが正義を語るなら」(ポプラ新書:2013年)の「正義の戦い方」という章、相手を殺してはいけないという内容で、人間の最大の敵は、ばい菌だが、ばい菌との戦いは、永遠に続く、と、書かれています。

 

今の、新型コロナウイルスとの戦いを想定しているかの様な記述に驚きましたが、我々がこの世に生きている限り、ばい菌(ウイルス)との戦いは永遠だと、割り切るしかないと思います。

 

東日本大震災で一番リクエストがあったと言われている「アンパンマンのマーチ」には、こんな印象的な歌詞があります。

 

そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも

 

なんのために 生まれて なにをして 生きるのか

 

こたえられないて そんなのは いやだ!

 

今を生きる ことで 熱い こころ 燃える

 

だから 君は いくんだ ほほえんで

 

(出典:アンパンマンのマーチ やなせたかし 作詞)

 

私たちは、何のために生まれて、何をして生きるのか?という、答えのない永遠の課題に、日々、向き合って生活しています。

 

その時に大事なのは、今を生きること、そして、微笑むこと、だと、私は思います。

 

かつて、自分には荷が重すぎる様々な肩書を背負っていた時は、微笑むことがなくなり、しかめっ面ばかりで、眉間のしわがなくなりませんでした。

 

しかし、どん底を経験し、そこから這い上がるために、肩書を捨て、心身の断捨離をして、身を軽くして、ようやく這い上がった時、眉間のしわが無くなり、自分の身の回りを俯瞰することで、余計な期待を持たず、作業と割り切ったことで、本当に身が軽くなりました。

 

休みが続くと、作業に戻る前日は、余計に億劫になり、憂鬱になりますが、実際に作業に取り掛かると、あっという間に、週末の休みになります。

 

最近は「次の休みに何をしようかな?」と考えて作業をしているので、あっという間に嫌なことも、憂鬱なことも、過ぎ去っていきます。

 

左遷されたことも、今は、そんなことがなければ来ることがなかった辺境の地で、どうやって週末を楽しむかを考えます。

 

行先は決まっているが、行程は決まっていない当てのない散歩をすること、美味しい朝食を食べること、ちょっと足を延ばして、グルメツアーやサ活をする、本屋や雑貨屋をブラブラと観て回る、ラジオや音楽をBGMにして読書する、など、左遷という限定された期間の中で、住み慣れた場所では出来ないことをやっています。

 

前のブログでも紹介しましたが、世界の喜劇王チャップリンの名言を、先日、西野亮廣さんがブログで紹介していました。

 

「ヒキで観ると悲劇だが、ヨリで観ると喜劇になる」

 

芸人さんらしい、ヒキ=遠く、ヨリ=近く、という表現をされていますが、今、自分の置かれている状況は、周囲から見れば、「住み慣れた場所から、家族を置いて、あんな遠くに飛ばされて」と悲劇に見えますが、実際に飛ばされた自分には、この離れたことで、住み慣れた場所が、改めて良い街だということを実感出来ました。

 

そして、今まで訪れたことのない場所、数回しか訪れたことがなかった場所に行く機会が増え、それぞれの場所の魅力を感じ始め、こんな機会を与えてくれたことに、不思議と感謝の念が芽生えました。

 

ウマの合う上司、作業と割り切ることで効率的に進めることが出来、自分の時間が持てることの幸福を感じ、この与えられた限りある時間を、いかに有効に使っていくかを考える様になりました。

 

これからは「人検索」の時代になります。私も「この人にお願いしたい」と、人検索される様に、自分の刃を研ぐことを、怠らずにやりたいと思います。

 

そういえば、4連休の前半に大きな街に行った時に、いつも行くお店があります。

 

どうして、そのお店に、足蹴良く通うのか?を考えた時、これも「人検索」だと思いました。

 

味はもちろん美味しいのですが、その店主を観察すると、言葉の端々に「ありがとう」と言っていました。

 

言霊ではありませんが、「ありがとう」は「有り難き幸せ」が短くなったという説があり、お客様がいらっしゃることが「幸せ」だと感じているから、自然と「ありがとう」が出て来ると思います。

 

これこそ、どんな時代でもブレない「ファン」が出来る要素だと思いました。

 

そんな、いろいろな刺激を受けた4連休でしたが、先週の始めに体調を崩した影響なのか、戻ってから、再び、体調が崩れましたが、ようやく、作業の前日に戻すことが出来ました。

 

ようやく、バタついた7月が終わり、残り5カ月で波乱の2020年が終わりますし、残り8カ月で、左遷先での奉公に区切りがつきます。

 

来春は、住み慣れた場所に戻ることを前提に強い気持ちで、残り少ない8カ月を過ごしたいと思います。

 

今年は静かな夏ですが、それに加えて、自然災害が頻発し、先が見えない世の中ですが、” Keep Calm and Carry On ” で、乗り切りましょうね!

潔く変更する英断が出来るかで未来が開ける。

こんばんは、コミュニティサポーターでエッセンシャルワーカーでもある栗之助です。

 

世の中では、未だ、見えない敵との無制限の延長戦が続いていますが、その戦う気持ちを削ぐような、愚策が出されました。

 

確か、Go To ナントカとかいう、皆で旅行しようぜ!という、不安感が拭えない中で、早く、バラまいた銭を回収したいという、下心丸出しの愚策だったと思います。

 

経済を回さなければ、ただでさえも、崩壊への道を驀進している、この国が、見えない敵との戦いによって、その驀進が加速しています。

 

それを止めるために、経済を回すことは大事だと思いますし、実際に、経済が回らなければ、我々の生活が成り立たなくなります。

 

今まで人気があった花形の業界が、一気に窮地に陥り、仕事を失う人も多くいると思いますが、仕事がないのか?と言ったら、実は、仕事は選ばなければ、あります。

 

失業者の中には、様々な理由で、働く職域に制限がある方もいるかと思いますが、個人的な考えにはなりますが、仕事を選ばず、生活維持を最優先させるのであれば、仕事はあります。

 

そして、仕事がないと悲観的に考えるのではなく、「どうやったら仕事を作れるか」という、視点を変えることも大事だと思います。

 

イメージが良くない、給料が安い、仕事がキツイ、ブラック企業だ、などという、周囲の情報だけで、自分の可能性をしぼませていませんか?

 

今までやったことのないことだと、自分を変えることに抵抗して、何も出来ないままではないですか?

 

今回の、Go To ナントカという愚策も、今の状況を鑑みて、内容の変更や延長、中止する、という、潔ぎ良い、柔軟な変更が出来れば、見えない敵に不安を感じる民を不安感を陥ることにはならないと思います。

 

経済を回さなければならないことは、誰もが分かっていることですが、もっと、真剣に考え、知恵を出すことを、エライセンセイガタに責務としてやって欲しいですが、出来ないカタガタに、言うだけ無駄だと思います。

 

同じように、この見えない敵との戦いが無制限の延長戦に入ったことで、世の中が一気にひっくり返りました。

 

今までの慣例や常識が通用しなくなったことで、今、求められているのは、我々が変容することです。

 

今まで、自分たちが捉われていた、様々なモノを手放し、潔く、変更する英断が出来るかどうかで、この未曾有の先の見えない世の中で、生き延びていく術ではないかと思います。

 

この危機的な状況を、皆さんは、どのように捉え、どのように具体的に動きますか?

 

不安な気持ちは一掃することは出来ませんが、上手く、不安や恐怖と付き合いながら、自分の心身をどうやって守るかが、大事だと思います。

 

来週は、変則的な祝日があるため、暦上は4連休になります。

 

元々はスポーツの祭典をするために、強引に祝日を動かした、負の遺産ですが、この4連休をどう過ごすかで、再び、ステイホームを強いられるのか、それとも、何とか、前に進めるのか、大事な1週間になると、個人的には思いますけど。