ソーシャルディスタンスではなく、フィジカルディスタンスが大事。
こんばんは、コミュニティサポーター栗之介です。昨日の予告通り、午後から思い切ってお休みしました。
いろいろ用事を済ませるのに、住み慣れた場所から遠く離れたところにひとりぼっちの私ですが、私が飛ばされた場末の僻地は日中でも人が出ていない、本当にゴーストタウン化が一気に加速していることを肌身に感じ、悲しくなりました。
作業する拠点(アジト)は、何故か、元歓楽街の一角にあるのですが、廃業されたお店も、ちらほら見受けられます。
私が長年居住していた、住み慣れた街も、かつての賑わいはなく、さらに廃業したお店が増えている様です。
そんな悲しみを感じながらも、本当に給付金が入ったことにビックリし、マスクまで購入出来たので、そんな些細なことを喜びに、励みに変えて行ければと思います。
そして、日中から、久しぶりのコンビニ弁当(やっぱり旨い)やスナック、心地好いラジオをおつまみに、アルコールを入れています。
先ほどまで、洋楽中心のラジオ番組を聞き、今は、昭和~平成初期の歌謡曲中心のラジオ番組を聞きながら、横にアルコール(最近のお気に入りは「レモンサワー炭酸割」を置いて、ブログを書いています。
昭和~平成初期の歌謡曲は、まだまだテレビで歌番組が沢山あった時代(今はMステくらいですかね)で、各局がランキング番組をやっていた時代でした。
その時代の曲を聞くと、一気にその時代にタイムスリップしますし、自然に口ずさんでしまいます。
たまに聞くラジオ番組ですが、選曲が、私の好みにどストライクで、本当に、ほろ酔い気分もあって、久しぶりに気持ちが高揚しています。
実は、カラオケは好きではないのですが、唯一、カラオケをする大切な仲間がいます。それが、私の恩師とその仲間たちです。
いつもいくスナック(このコロナ禍で閉店していないか心配です)で、お互いに好きな歌を気兼ねなく歌い、語らい、笑う、という、空間と時間が本当に好きでした。
カラオケを付き合いで行くときは、ほとんど聞き役に徹し、マイクを回された時は、そのため用の持ち歌を歌います。
私は音痴で、人前で歌うのが本当に嫌なので、持ち歌は何度も練習し、なるべく短く済む歌にしています。
そんな中、そういう当たり前にあった日常が出来なくなり、カラオケも出来ない中で、声を出すことが出来ないことで、ストレスフルになっている方も多いと思います。
今は3密がダメと言われ、カラオケやバー、スナックが自粛を余儀なくされました。
体力があるお店は生き残りましたが、そうでないお店は廃業を余儀なくなれましたし、このコロナ禍後で、以前の様に集客することが難しくなりました。
そして、ソーシャルディスタンスという言葉が当たり前になり、スーパーやドラッグストア、公共機関のベンチには「ソーシャルディスタンス」と言って、ヒトとヒトとの距離を取る様になりました。
私は、この新型コロナウイルスという見えない敵との戦いで、飛沫や接触感染する可能性が高いということで、ヒトとの距離を取ることはやむを得ないと思いますが、ソーシャルディスタンスという言葉には、正直、違和感がありました。
ソーシャルディスタンスと訳すと「社会的な距離」ということで、社会から隔離する様な嫌なイメージを感じていましたが、あるブログ記事を読んでいて、これだ!というピッタリな言葉が見つかりました。
それが、今日のタイトルにある「フィジカルディスタンス」という言葉です。訳すと「身体的距離」という意味で、身体的な接触を避ける意味では、一番、良い言葉だと思います。
改めて、日本人の英語音痴が露呈したお粗末な言葉だと思いますが、メディアも行政もそろって、このセンスがない言葉を垂れ流しているので、今更、変えることは無理だと思いますが、私自身は、これから「フィジカルディスタンス」と言い方を変えたいと思います。
言葉を変えるだけで、受け取る側のイメージも変わり、正しく的確に受け入れられると思います。
社会的隔離という言葉から、自粛警察というのが生まれ、誰もwinにならない不幸の連鎖が起きています。お互いが罵倒し合う世の中に明るい未来はありません。
ヒトの上げ足を取ったり、自分の正義感や価値観だけで、言わなくていいことを言って炎上するのを見聞きして、ヒトのいう生き物のグロテスクさに反吐が出ます。
誰もが、世の中で情報発信出来る世の中になった(このブログもそうですが)ことで、以前は許された発言が「不謹慎だ!」「不快だ!」「侮辱している!」と叩かれ、炎上します。
以前まで、何でそんなに叩かれることがなかったのは、そのコミュニティ限定で発せられた「ここだけの秘密」の様な、限定的だったのが、その発言の一部だけを切り取られてしまい、メディアが得意な歪曲化され、流布されることで、安易に発言することが難しくなって来ました。
なので、今は、発信するのではなく、心の中で「思っとけ!」ということが大事だと思います。
アフターコロナによって、社会的隔離をして、お互いが罵倒しあう監視社会に、誰もしたいとは思わないと思います。
きっと、先の見えない不安が、ヒトを異常な行動に導いているだけだと思います。
正義感や価値観という個々人が持っているものが絶対だと本能で動くヒトが、様々な価値観や正義感を出来る範囲で許容し合い、妥協できる、英知のある人に戻るために、新型コロナウイルスは生まれたと思います。
正義感を戦わせるのではなく、お互いの正義感は何?と考えることから始めることで、アフターコロナの生末が変わって来ると思います。
今は、新型コロナウイルスから、自分自身、そして大切な人を守るために、お互いに「フィジカルディスタンス」を意識して、心の距離だけは、かけ離れずにいたいものです。
心の距離については、心理学での「ヤマアラシのジレンマ」という話が、一番分かりやすいので、気になる方はググってください。簡単に言うと「近づきすぎず、遠すぎず、程好い距離が大事」ということです。
私のエッセンシャルワーカーのしての作業も明日1日です。週末はオンライン飲み会がるので、それを目標に、少しずつ、前を向いて、歩んで行きたいと思います。