放浪し進化するコミュニティサポーター栗之助のブログ

放浪し進化するカウンセリングマインド♥️をベースに活動するコミュニティサポーターです。

エッセンシャルワーカーに必要なことは、「感謝の言葉」を送られることなのか?

こんにちは、コミュニティサポーターでエッセンシャルワーカーの栗之助です。

 

今週から、徐々に世の中が通常に戻った様で、働き方がほとんど変わらないエッセンシャルワーカーである私には、ほとんど無縁の世界の出来事ですが、在宅勤務やテレワークを強いられていた皆さんが、通常勤務に戻られることで、エッセンシャルワーカーとしての作業にも、通常作業に戻りつつあります。

 

そういうこともあり、平日の作業も案外忙しくなり、このブログも、今までの週末更新に戻したいと思います。

 

今週の作業は、3日間が外回りでした。常時マスクを着用し、フィジカルディスタンスを意識した対応になり、外回り時間も長いので、毎日、ヘトヘトになって帰って来ました。

 

とは言え、今週から開始したファスティングは、順調で、平日は夕食のみなので、一気に体重が落ち始めました。

 

ただ、週末は、まだまだ、予断を許さない状況なので、不要不急の外出は避け、部屋にいることが多いので、気を付けないと、何かを食べてしまいそうです。

 

ただ、一日1食というのが、案外、苦にはならず、けっこう作業が忙しく、心身も殺られるので、作業中は食欲がわかず、水分(青汁か炭酸水)を取る程度なので、一気に落とすことが出来そうです。

 

ファスティングで体形が20代の頃に戻れば、今まで持っていたタンスやクローゼットの肥やしになっていた不要な衣類を、一気に処分することが出来ます。

 

装飾品に全く興味が湧かなくなった私は、基本着るものは、平日は作業着、休日はジャージ、たまに大きな町へ行く時におしゃれな恰好をする程度です。

 

持ち物も、最低限必要なカバンがあれば十分で、別に高級なものが欲しいわけでもなく、時計も長年使っている少し値が張ったものです(安い作業用時計はどこかに紛失してしまいました)。

 

財布は、少し値が張るものを使っていますが、大きな長財布とメインで使っている電子マネー専用の小銭入れと、本当の小銭だけの小銭入れを使い、他の大事なものを入れたカードケースと折り畳みのエコバックと一緒に、無印良品のショルダーバッグに入れています。

 

なので、暮らしが本当にシンプルになり、アパートにあるのは、必要最小限のものしかありませんし、住み慣れた場所にある荷物も、一気に断捨離をしたので、本当に荷物が減りました。

 

シンプルになったのは、モノだけではなく、ヒトと人を見極め、人の付き合いもシンプルになり、不必要なことを一気に排除することが出来ました。

 

この新型コロナウイルスにより、3密が悪の様に扱われることによって、ヒトとの付き合いで3密になる付き合いが一気になくなり、さらに不必要なものが進み、シンプルになると思います。

 

ソーシャルディスタンスにより、物理的なヒトとの距離が取れることで、心理的な人との関係を取れる様になると思います。

 

そこで、使われるのがSNSというツールですが、残念ながら、そのツールを凶器の様に使っているのが多くなった様に思えます。

 

ようやく、それが社会的に問題だと世間が気づいたのか分かりませんが、本来の正しいSNSの使い方や意義を再認識し、有効に使うことが大事だと思います。

 

前置きが長くなりましたが、今日のタイトルにある「エッセンシャルワーカーに必要なのは『感謝の言葉』を送られることなのか?」という話に入ります。

 

最近、SNSで「エッセンシャルワーカーに感謝」とかいう投稿が目立っていますが、実際にエッセンシャルワーカーとして作業に出向いている私からすると、そんな投稿があるたびに「自己満足レベルだよな」と不快になります。

 

言葉や物が送られるのは、嫌ではありませんが、本当に必要なのは「人手(マンパワー)」と「差別や偏見を受けない社会」です。

 

エッセンシャルワーカーをやっているだけで、差別を受け、言われもしない罵詈雑言を浴び、消毒スプレーをいきなりかけられる社会で、自らの仕事や作業を口外できないエッセンシャルワーカーや、その家族は多いと思います。

 

しかし、エッセンシャルワーカーは、新型コロナウイルスという見えない敵との戦いを強いられているので、完全な予防対策をしています。

 

手洗いやうがいはもちろん、検温して、体調が悪ければ、強制的に休まされます。そこまで徹底し、さらに、ソーシャルディスタンスを通常の何十倍も意識し、公私を問わずフィジカルディスタンスを意識しています。

 

そこまで徹底してやっている人であれば、相当大変なことだとお判りになると思いますが、上記の様な醜いことをやるヒトは、実際にそこまで徹底してやっているのか?と思います。

 

そして、自己満足レベルの陳腐な言葉は、残念ながら、最前線で切迫した中で働き続けるエッセンシャルワーカーには響きません。

 

物もありがたいですが、しょせん、消え物なので、それらが無くなれば、それでおしまいになります。

 

大事なことは、言葉や物ではなく、エッセンシャルワーカーへの感謝の念を表に出さなくても良いから、思っていれば、自然と偏見や差別につながる言動はなくなり、感謝の言葉が自然に出ると思います。

 

皆さんが想像する以上に、エッセンシャルワーカーの心身は疲弊し、正直、いつぶっ倒れてもおかしくありません。

 

どうか、エッセンシャルワーカーとしてかかわることが出来ない人もいて、何かしたいと思うかもしれませんが、心の中で「ありがとう」と思っていただければ、それだけで正直、嬉しいです。

 

差し入れについては、以前、「差し入れハラスメント(サシハラ)」というのが話題になりましたが、正直、エッセンシャルワーカーへの感謝の言葉や差し入れは、これになる様に思います。

 

差し入れも、人によって趣味嗜好が異なるので、正直、迷惑なこともあります。行為自体は、とてもうれしいのですが、どうか、我々、エッセンシャルワーカーが生きやすい社会に戻すことに、その思いや願いを使って欲しいと思います。

 

自己満足レベルの行動は、優秀なエッセンシャルワーカーたちには、直ぐに見分けられます。

 

逆に、自己満足レベルではなく、我々、エッセンシャルワーカーが公私を問わず、ギリギリのところで踏みとどまっていることを知った上で起こすアクションは、我々の心に深く染み入ります。

 

厳しい言葉にはなりますが、どうか、エッセンシャルワーカーでもある、コミュニティサポーターの私からお願いです。

 

我々が、差別や偏見を受けない様に、暖かいコミュニティを取り戻してください。

 

今の私たちには、そこまでする余力はありませんので、どうか、通常勤務に戻り、おそらく、生活様式は変わりますが、通常の生活に戻った時に、疲れ切った我々が癒される社会やコミュニティになる様に、力を注いでください。

 

今は、誰もが見えない敵との戦いで、見えない未来に不安になることから、お互いに傷つけ合う様な惨状も見受けられますが、そんな殺伐とした世の中に、未来永劫はありません。

 

不安な気持ちはみんな同じです。そして、その不安は怒りになり、不安の矛先がエッセンシャルワーカーにぶつけられ、傷つきます。

 

不安や愚痴をボヤいても、何も解決はしません。正直、誰かが何とかしてくれるという他者依存も、この世の中では通用しません。

 

大事なことは、この戦後最大のピンチを、自分だったらどうやって乗り切り、生き延びていくかを、考え、トライ&エラーを繰り返しながら、自分の方法を確立することだと思います。

 

それをサポートするのが、コミュニティサポーターの責務だと、私は思っています。

 

あっという間に5月が過ぎ、次回、更新するときは6月になります。

 

今年の夏は、いつもと違う「静かな夏」になると思いますが、この静かな夏に、他責する時間があれば、そのくだらない時間を自分と向き合い、自身の未来を描くために必要なことをする時間に充てる、貴重な夏になると思います。

 

多くの人が経験した、未曾有の体験を、いつか「こんなことがあったね」と言える時が来ることを願って、今年は自らを律する年だと割り切って、言動に責任を持ちたいと、私は思います。