放浪し進化するコミュニティサポーター栗之助のブログ

放浪し進化するカウンセリングマインド♥️をベースに活動するコミュニティサポーターです。

この一番静かな夏に思うこと

こんばんは、コミュニティサポーターであり、エッセンシャルワーカーでもある栗之助(仮名)です。

 

今年の夏は、コロナ禍で、多くの夏の風物詩と言われたことが出来なくなり、本当に静かな夏になったと思います。

 

夏祭りや音楽フェスも中止になり、人にとって大切な「文化」をどうやって提供し、受容するのかを試行する夏になったと思います。

 

花火はゲリラ的に打ち上がるイベントに代わり、音楽フェスやライブは映像配信という、新たな方法を模索しています。

 

今まで当たり前だったことが出来なくなったと嘆くのではなく、この一変した状況をいかに変化のチャンスだと捉え、試行錯誤出来るのは、唯一、知恵を持った人間が出来る業だと思います。

 

今までの歴史では、様々な危機があり、それを我々は乗り越えて来ました。

 

しかし、近年は、それを過去の遺産として軽視し、自分の利益や正義を優先することで、争い事や自然破壊という、重大な過失をしていたことに、気づかなかったのか、目を背けていたんだと思います。

 

人が便利さを追求し、ITに支配されたことで、本来人が出来ることを、ITにさせたことで、人は考えること、動くことを辞めてしまいました。そのツケが、今回のコロナ禍だと、個人的には思います。

 

本来、人には考える力、動く力があります。それをITにさせたことで、一気にバカなヒトが増え、私利私欲に溺れたんだと思います。

 

私は、改めて、このコロナ禍を受け止め、冷静に考え、動くことを始めました。

 

日々、溢れ続けている過多な情報を、単に鵜呑みにするのではなく、疑いの目を持ち、キチンと収取選択し、しっかり咀嚼するという、頭を使うことをしています。

 

毎日、歩くことをして、出来る限り、便利なものを使わない。時間も、平日のライスワークでは時間泥棒をされているので、逆に、自分が使える時間を、有効に使うようにしています。

 

今までの様な、バカ騒ぎをするお祭り騒ぎをすることは、しばらく出来ないかもしれませんが、本当に必要なものなのか、そうでないものなのか、を見極める、大事なひと夏になったと思います。

 

大事なのは、使命感とかいう陳腐なものではなく、本当に、これが、世の中に必要なものなのか?ということで、今までの慣習自体も、全て見直しする絶好の機会だと、私は思います。

 

儀礼的なことは本当にこの世の中の現状に必要なものなのか?

 

今の世の中を、生き延びていくためには、現状を捉え、その変化に柔軟に対応していくことだと思います。

 

それが出来ないヒトは「老害」とは言われるだと思います。

 

人生の正午を過ぎ、下り坂にそろそろと降りていますが、少なくとも「老害」とか言われない様に、柔軟に生きて活きたいですね。