放浪し進化するコミュニティサポーター栗之助のブログ

放浪し進化するカウンセリングマインド♥️をベースに活動するコミュニティサポーターです。

コミュニティサポーターとして出来ること

こんばんは、コミュニティサポーター栗之助です。

 

先週の後半はツイートした通り、出張(研修)で左遷先を離れていました。

 

出張先では、お世話になった施設に行くことが出来、地元のソウルフードも食べ、サ活も出来ました。

 

そして、何よりも、同期の仲間たちと、数年ぶりに再会出来たことが、今回の出張での大きな収穫でした。

 

同期と一緒に研修した時から、数年後に心身を崩し、その後、全く連絡をしなかったことを詫びましたが、それに触れることもなく、出逢った当時と変わらずに接してくれる仲間の暖かさに嬉しさが込み上げて来ました。

 

同期と言えども、部署も職務内容も全く異なるため、一緒に勤務することはありませんが、何故か、この人たちと一緒にいると、業務上の話は合わないのに、何で心地好いのか、不思議でしたが、今回の研修で、何となく分かりました。

 

研修で同じ部署の同期と一緒の時は、非常に居心地が悪く、いろいろな部署が混じると、その居心地の悪さが軽減されました。

 

この違いを分析した時に、「人との距離感」というキーワードが出てきました。

 

同じ部署の同期は、言い方は悪いですが、非常に熱く「ウザさ」を感じました。そして、過去の自分の栄光を棚に上げ、マウントして来ます。そして、自分のやっていることが、相手にとって素晴らしいことを、やっているんだと、猛アピールして来ます。

 

私は、それらが「本当にその人にとって素晴らしいことなの?」と猜疑心を持ち、自己覚知せず、自己陶酔している様に思え、気分が悪くなり、居心地が悪くなりました。

 

さらには、同僚の発した発言を「不謹慎だ」と猛烈に批判し、それを改めようとすることに、強い違和感を感じました。

 

発言内容は、傍からその部分だけを取り出して見たら、確かに不謹慎かもしれませんが、人間誰でも毒を吐くことはあると思います。

 

きっと、マウントする、圧の強い同期は、話の一部だけを切り取り、批判するタイプだと思い、余計な発言は一切しませんでした。おそらく、ホリエモンの様に正論を言っていても、言動が辛辣なので、その部分だけを切り取って「嫌い、許せない。」と言うタイプだと思います。なので、居心地が悪かったのだと思います。

 

どんな仕事であっても、キレイごとで全てが済むことはないと思います。毒を吐くことで、自分の心身を保つことすら出来ない世の中は、正に不寛容社会だと思います。

 

かつての私の同僚は、電話でのクレーム対応で、受話器を置いた時に「死ね!」と言い、「はい、おしまい。」と切り替えていました。この心身を保つ方法は「なるほど」と思い、今でも使うことがあります(残念ながら、今の職場では、嫌な同僚に似たマウントする奴がいるので、表では言えず、心の中で何人も抹殺しています)。

 

表に出せれば、もっと心身を保つのに有効だと思いますし、一度、電話でブチ切れた時も、後で仲間から「しょうがないよ。それはキレるわ。」と言われました。

 

今回の、苦手な圧が強くウザい同僚を接し、コミュニティサポーターとしての活動について再考することが出来ました。

 

コミュニティサポーターとして、寛容な社会を再構築すること、そして、自己覚知をしながら、相談者ファーストであること、本当にサポートしていることが、その人を主体的に考えた時に、その人のためになっているのかを考えることが、大事だと、再認識しました。

 

なので、私は「士業(師業)」で名乗ることをせず、コミュニティサポーターという言い方をしているのだと思います。

 

そして、相手の辛い過去を根掘り葉掘り穿り返さず、「そうだったんだ」と言って、それ以上詮索せず、変わらずに接することが、どれだけ相手を大切に想う気持ちだということを、大切な部署が違う同期や、住み慣れた場所の仲間たちから、教わりました。

 

「つい手を出すおせっかい。そっとしておく思いやり。」

 

これが、コミュニティサポーターとして出来ることではないかと思います。

 

これからも、相手に寄り添いながら、本人の力を引き出せる様なサポートを心掛けたいと、今回の研修から帰る道中、考えました。

 

ちなみに、再会した大事な同期たちとは、近日中に会う約束をして別れました。