エッセンシャルワーカーは吐き溜めではない。
こんばんは、コミュニティサポーター栗之介です。新型コロナウイルスという見えない敵との戦いに疲れ、疲弊感と絶望感から生じる「怒り」の矛先が、エッセンシャルワーカーに向けられているという現実に、とうとう私も遭遇しました。
具体的なことは書けませんが、感情が爆発して、一方的に罵詈雑言を、電話越しではありますが、浴びました。
私は、長年、コミュニティサポーターという仕事をして来ましたが、この仕事が「好きか・嫌いか?」と訊かれると、間髪入れず「嫌いです」と答えると思います。
もちろん、最初から嫌いだった訳ではありませんが、好きで仕事を選べた時代ではなかったので、好きでも嫌いでもない、たまたま、その領域を学んでいたという理由だけで仕事に就きました。
そこから、領域は変わって行きますが、正直、コミュニティサポーターの仕事を好きになることは、ほとんどというか、皆無に近いくらいありませんでした。
コミュニティサポーターとしての資格も、自分の生きた証や、恩師に近づきたいという気持ちから取っただけであり、それを活かして仕事をしたいと、立場上、言ったことはありますが、思ったことはありませんでした。
もしも、タイムマシンというものが、この世の中に存在すれば、きっと、何も知らなかった無知だった高校生時代に戻り、「革命のファンファーレ」というビジネス書を渡して、「これを読んで、自分の未来を真剣に設計しろ。」と、喝を入れると思います。
正直、学歴だけは、それなりに高く、いろいろ学んで来ましたが、学んだことが、こんなにも、世の中で通用しないんだと、痛感し、やがて、その痛みが、心身を虫歯って行きます。
先ほどの電話でのクレームは、コミュニティサポーターをやっている以上、避けられないことですが、それの対処法は、学校では一切教わりませんでした。
社会人になり、様々な経験から、自分なりに試行錯誤して、今になって、ようやく、自分なりの対処法を使えるようになりました。
心身を虫歯られ、心身からの警報が発せられている中、3日間連続で、深夜に電話対応で、一方的に罵詈雑言を浴びたことで、一気に耐性が落ち、メンタル疾患で戦線を離れることになりました。
そういういろいろな経験から、私がコミュニティサポーターとして、嫌いな仕事をこなす方法は、次の通りです。
①コミュニティサポーターが対応するのは、人間ではなく、人間の形をした、人間の言葉を発する生き物だと思い、同類と思わないこと。
②クレーマーや感情優位で罵詈雑言で攻撃する生き物には、応戦せず、無感情で淡々と対応するか、わざと、同調行動を取り、攻撃力を落とす。
③話は作業に必要な客観的なことだけを聴き、他は聞き流す。感情には同調行動をとるが、無感情で対応する。話が通じないことを前提に、こちらの作業に必要なことだけを聴取する。想いやメッセージは話すだけ無駄なのでしない。
④単なる朝から夕方までの時間限定の作業だと割り切る。他者評価を当てにせず、自己アピールもしないが、ポジショニングのために他者を上手く利用する。
好きではない、むしろ嫌いな仕事だからこそ、余計な力が入らず、拘束された時間内で省エネモードでのパフォーマンスが出来ると思います。
これがコロナ禍前であれば、余ったエネルギーを休日に、作業現場やアパートを意識的に離れて、アクティブに外に出て発散することで、上手く統制が取れていました。
そんな感覚が出て来て、これで2020年度を乗り越えられるなぁと思い始めた矢先のコロナ禍で、余ったエネルギーを発散できない状況になり、統制が取れなくなってしまいました。
週末は、近所に買い物に行くのに外出するくらいで、アパートに籠っています。金曜日の夜は、5日間の作業での鬱憤をアルコールを浴びて過ごす、自堕落な生活になってしまいました。
実は、コロナ禍前までは、宅飲みをする習慣はありませんでした。アルコールは、会社の付き合いでやむを得ず飲む(よほどのことがない限りノンアルコールですが)こともありますが、旅先や住み慣れた場所で、ひとりのんびりと飲むか、気心知れた仲間たちと飲むのが基本でした。
元々、そんなにアルコールに強いわけではない(パッチテストでもアルコール分解が苦手ということが分かりました)ので、宅飲みをすることはありませんでした。
しかし、先の見えない自粛という中で、自粛警察という容赦なくバッシングや罵詈雑言を、作業時間外に受けるのも嫌なので、その鬱憤が宅飲みという、悪習慣につながっていると思います。
今までは、読書したり、作業を効率よくさせる資格の勉強もしていましたが、最近は、本を開く気持ちもなくなり、平日の作業日は、買い物してアパートに帰って、夕飯を食べて、たまに洗濯して、ブログを書いて寝る毎日を送り、週末は、アパートの掃除をして、洗濯して、買い物して、食事して、土曜日だけ飲む、という単調な生活を送っています。日曜日は月曜日から憂鬱な作業があるので、アルコール抜きに充てています。
「自粛疲れ」という言葉も生まれ、本当に、多くの人がストレスを溜め込み、疲弊していると思います。それは、エッセンシャルワーカーであっても、在宅ワーカーであっても、ハウスワーカーや子ども、老人、でも、同じだと思います。
その鬱積した負の感情を、一番ぶつけやすいのは、自粛警察のターゲットになるお店や、我々の様なエッセンシャルワーカーです。
お店の方々やエッセンシャルワーカーも、このコロナ禍で心身が傷ついています。そういう人が、自粛警察の異常なアクションにさらに傷つき、罵詈雑言を浴び、差別的行為を受けています。
それが自粛期間が延びるに連れて、増えているのは、メディアが煽っていること、それを止める能力がエライセンセイガタにないこと、新型コロナウイルスへの正しい対処法が浸透せず、歪曲されて伝わっていること、メディアがそれを放置し、さらに炎上させていることだと、個人的には思います。
コロナ禍になってから、すっかりメディアに足が向かなくなりました。テレビは全く観なくなり、ラジオもミュージックオンリーのFM局の番組を聞くようになりました。
AM局もほとんど音楽系以外は聞かなくなり(ある深夜番組での発言で、あるタレントが炎上騒ぎになっているみたいですね。興味はありませんが、これも不寛容社会の現れだと思います。ご愁傷様です。)、FM局でも、AM局の様なコメンテートする番組は、全く聞かなくなりました。
後は、YouTubeなどの映像コンテンツを観るくらいで、たまにアーティストのオンライン飲み会に参加するくらいです。
正直、天気や情報はSNSで分かります(エッセンシャルワーカーという立場上、感染者数のチェックはしています)が、SNSは無法地帯になり、荒れ果てているので、余計な情報も目にすることもあります。
元々、ワイドショーは嫌いで観ませんし、ニュースも新聞も、バッドな内容しか垂れ流さないので、全く目にしなくなりました。
ワイドショーと言えば、ホリエモンさんが、SNSを賑やかにしていますが、私が見える光景は、自粛警察が、ホリエモンさんの計算された挑発に、ものの見事に乗り、ホリエモンさんが「バカだなぁ」と、自分の策略にほくそ笑む様に見えます。言い方が適切ではないかもしれませんが、新たな「エンターテイメント」だと思ってしまいます。
しかし、私が見たいエンターテイメントは、お互いがいがみ合うのではなく、歩み寄って、合致させる "win-win" なものです。
おそらく、このコロナ禍で、エンターテイメントの在り方が変わって行くと思いますが、唯一感情がある人間として必要な栄養素がエンターテイメントです。
そのエンターテイメントが、危機的な状況になっていますが、逆に、今までの新たな良質のエンターテイメントを構築する好機だと思います。
残念ながら、コロナ禍前のエンターテイメントは、正直、良質ではなかったと思います。ひな壇にいる人をいじって面白がるという、低レベルで、逆に素人の方をターゲットにした方が、よっぽどエンターテイメント性が高かったと思います。
最後に、エッセンシャルワーカーも心身共に傷ついている人間ですし、私の様に罵詈雑言を浴びることに対処できる人はほとんどいませんし、私も、正直、やりたい仕事ではないのが、増すだけです。
どうか、いろいろな感情があるかと思いますが、吐き出すのではなく、「思っとけ!」と心の中に留めておくか、留めることがしんどいのであれば、誰も傷つけない方法で出してください。
皆さんに湧き上がる、怒りなどの負の感情は、今までの生活を送ることが出来なくなったことで、全ての人に生じる感情です。
その「怒り」を上手く取り扱うことが出来るか、出来ないかで、アフターコロナでの、生き延び方が決まると言っても過言ではないと思います。
我々が、外出自粛とは言え、食べるものに苦労しないのは、エッセンシャルワーカーのおかげです。そういう感謝の念があれば、「お互い大変だね」というねぎらいの言葉が出て来ると思います。
明日はいよいよ金曜日。昨日、休んだので、調子は戻って来ましたし、3密を避けるための、時間休で早退します。
きっと、明日は「宅飲みデー」だと思います。最近、炭酸で割るだけでレモンチューハイが作れるのが出て、すっかりはまってしまいました。安価でベロベロに酔えるのですが、睡眠が浅くなるなぁ。