放浪し進化するコミュニティサポーター栗之助のブログ

放浪し進化するカウンセリングマインド♥️をベースに活動するコミュニティサポーターです。

相手に逃げ道を残し、お互いを許すことが、結果、自分の風穴を開けることとなる。

こんばんは、コミュニティサポーターであり、エッセンシャルワーカーでもある栗之助です。1週間お疲れ様でした。

 

最近、エッセンシャルワーカーの作業や、他のエッセンシャルワーカー関係者との関わりで、自分に合わないことが多いなぁとモヤモヤした気持ちになることが続きました。

 

正直、しんどいなぁと思いましたが、その時、偶然、目にした言葉が、今日のタイトルにある「逃げ道を残し、許すこと」「自分の風穴を開けること」です。

 

私自身、コミュニティサポーターとして、医療、教育、福祉という、様々な領域で活動して来ました。その経験値は、おそらく、単に士(師)業を名乗ることで、評価を得る姑息な手段しか取ることが出来ないスケールの小さい奴とは、かなり大きな隔たりがあると思います。

 

経験値を上げるということで、様々な修羅場を潜って来ました。抗争に巻き込まれることも多々あれば、公開処刑されたことも何度もあります。濡れ衣を着せられ罠にはめられ、その結果、心身が殺られてしまい、活動休止に追い込まれたこともありました。

 

その度に、様々な経験から、自分に足りない知識や技術を得ることを自分なりにやって来ました。その結果の一部が、単に士(師)業資格だっただけであり、それだけで、十分に知識を得た、技術もあるとは全く思ってなく、今の自分は超未熟で、まだまだ進化し続けることが必要だと痛感する毎日です。

 

今は、コミュニティサポーターやエッセンシャルワーカーとして足りない知識やスキルを経験から学ぶ一方で、今のコロナ禍で結果を出している人たちから発信される、今の世の中を生きていくための術を学ぶことが、自分がコミュニティサポーターの様な、机上の空論じゃなく、ダイレクトに地域や社会に貢献できる人になるために必要な知見だと実感しながら、目から鱗が落ちるキラキラしたリアルタイムで新鮮な情報を毎日、頭の栄養として与えています。

 

このコロナ禍で、マスゴミから離れ、テレビを観ない生活に慣れたのか、今は、そういう結果を出している人の本や記事を見たり、気に入ったオンラインサロンに入ったり、自分で「これがいい」と思った情報を、収集して選択して、いらないものは捨て、必要なものだけを残す「心(人や物)の断捨離」をしていました。

 

しかし、最近、心の断捨離をする中で、どうしても躊躇して捨てられない人、捨てたい気持ちはあるが、捨てられない人が、立て続けに出てきました。

 

そんなモヤモヤした気持ちの中で、目に飛び込んで来た言葉が「逃げ道を残す」と「許す」という、2つの言葉でした。

 

 モヤモヤする背景にある思いは「何で、こんなこと、分かってくれないの?」という、自分からの一方的な価値観から起こった気持ちであり、それが反映されたものです。

 

価値観はどんなに近しい間であっても、異なるものです。これは身内とか仲間とかでも同じことです。家族間でも当然、価値観は異なります。

 

その価値観を相手と共有したいという、到底無理なことを期待しているから、モヤモヤしてしまうと思います。

 

そして、もうひとつモヤモヤさせることに「相手のことを考えて」という、これも自分の価値観に基づいたものなので、「相手のことを考えて」と言いながらも、実は、相手のことは考えていません。

 

よく「〇〇のために」という言葉を使うことが多いと思いますが、私が、まだ駆け出しの援助職だった時に、ケースレポートを出した時に、この「〇〇のために」という言葉が、レポートに多用していたことに、痛いコメントをもらったことがあります。

 

ところで、「〇〇のため」って、何度も書いてあるけど、本当に、その人のためになっているの?

 

その時に、自分が「〇〇のために」と言っていることが、本当にその人のためになっているのか?という視点に欠けていたことに気づきました。

 

それから、私は、「〇〇のために」とか「分かります」という言葉を、現場で使うことはしなくなりました。

 

逆に、その人のためにと考えるのであれば、その人に「逃げ道」と作ることが、よほど良いのかな?と、最近、思うようになりました。

 

相手に優位感を与えながらも、実は、それは逃げ道を作ってあげており、逆に、自分が関わり易くするように場を整え、実は、優位なのは自分の方にしています。

 

例えば、ある対応が気に入らないと文句を言われた時、自分の価値観をぶつけようとすると、その文句に乗っかり、事態が悪化するだけです。

 

なので、逆に、文句に対し「こういう考えの持ち主なんだ」と思い、相手の文句に対して、分かった様に謝るなどの対応をします。あるいは、そういう考えなんですね。と流して理解している素振りを見せることにしています。

 

あるいは、文句を言われたことが、自分の価値観を否定したり卑下したりされると怒りが沸き起こってきますが、これも「価値観が合わない人だな」と、いい意味で「許す」ことで、怒りのボルテージを下げることが出来ます。

 

相手に対し理論武装して、逃げ道を与えないことは、結果、自分の首を絞めることになりますし、理論武装する人は、大概、その理論に依存しているだけなので、その理論にボロが出ると、一気に弱体化します。

 

なので、理論武装するヒトは弱い奴だと思っているので、その話には一切乗らず、ただ、その罵詈雑言が収まるのを待ちます。

 

そうすることで、相手にボロが出た時に、コテンパンにやっつけていないので、逃げ道を作ることが出来ます。

 

そして、中には「言っても分からない奴」がいますが、こういうヒトには、用件だけを淡々と伝え、想いなどの感情は入れません。

 

理由は、そういうヒトに、何を言っても分からないのだから、自分の余計な力を使うことに、全く意味がないからです。

 

言って分かる人であれば、我々の様な、エッセンシャルワーカーが対応することはなく、ご自身で考えることが出来ると思います。

 

なので、一見すると、対応がクールに見え、冷たい印象を持たれますが、エッセンシャルワーカー自身が、仕事を続けていくためのは、良い意味での割り切りやクールさは大事だと思います。

 

” Cool head, warm heart ” という言葉がありますが、この言葉で仕事なり作業をしていると、間違いなく殺られると思い、私は " Cool head & heart " を意識し、仕事という言い方ではなく、作業という、より感情が入らない様に、意識することで、自分の心身を守っています。

 

こういう自己防衛や相手に逃げ道を与え、許すことで、結果、自分の風穴を開けることで、自分に降りかかる様々な攻撃によって、心身を守り、殺られた心身を上手く癒し、自分の進路を迷走せず、前に進んでいくことが出来ると思います。

 

風穴を開けることで、今まで「許せなかった」ことが「許す」ことが出来、単に、人を一気に断捨離するのではなく、人によっては、程良い距離間で、適度な関係性を保つことも大事だと、最近気づきました。

 

いよいよ、6月も中盤に来て、徐々に、人の行き来が始まっていますが、まだまだ、見えない敵との戦いは終わっていません。

 

しかし、この見えない敵との戦いの中で、「自分がどうありたいか」「自分がどう生きたいか(活きたいか)」が、ぼんやりと見えて来ました。

 

今、使っているコミュニティサポーターという言葉の違和感も日増しに強くなっているので、どこかのタイミングで、コミュニティサポーター栗之介から、名称を一新したいと思います(ちなみに栗之介は本名ではありません)。

 

今週末は、久しぶりにサ活をして、ととのいましたが、少し入りすぎたのか、少し疲れ気味です。

 

サウナも1室数名という限定があり、室内は私語厳禁になっていましたが、やっぱりサウナは良いなぁと思いました。

 

来週末は、緊急事態宣言も少し解除されたため、久しぶりに遠方に行くので、更新が数日遅くなるかもしれません。では、来週もお元気で!